物流博物館

本日開館 本日休館

10:00~17:00(入館は16:30まで)

またのご来館をお待ちしています

〒108-0074 東京都港区高輪4-7-15

03-3280-1616

イベント

2000年度の映画上映会

「物流の視点-はこぶ姿から時代を見る」 第1回

開催日:2000年7月14日(金)・16日(日) 15時~

貨物輸送
1951年/白黒/19分/ビデオ/協力:日本国有鉄道・日本通運株式会社/監修:社会科教材映画体系審議会
戦後の汐留駅を中心に、貨物列車によって大都会東京に運ばれてくるたくさんの貨物を描いた作品。貨物列車から三輪トラックへの積込など汐留駅構内での作業の様子、発送ホームからあふれんばかりの貨物と貨車不足に悩む現場の姿。酒田などの米の産地から都会の間で行われる米のピストン輸送。22両の急行貨物便を牽引する蒸気機関車D51と電気機関車が長岡駅で入換をする様子も出てきます。
物のながれ
1950年頃/白黒/20分/16ミリ/企画:日本通運株式会社/演出:太田皓一
「貨物輸送」とほぼ同時期の作品。占領下の日本の輸送事情を陸海空の輸送手段にわたって紹介しています。当時スタートしたばかりの長距離トラック便が走る道路は舗装されておらず、半世紀前の輸送の姿と同時に当時の空気も伝わってくる作品です。

「物流の視点-はこぶ姿から時代を見る」 第2回

開催日:2000年8月18日(金)・20日(日) 15時~

68の車輪
1965年/カラー/32分/製作:東京シネマ新社/企画:日本通運株式会社/演出:森田実
重量280トンという当時最大級の変圧器を300トン・シュナーベル式トレーラが運んでいく姿をとらえた記録映画。柏駅から千葉県野田市郊外の東京電力東東京変電所まで17キロ半、5日間の行程を、田んぼの湿地帯の細い一本道などの難所を補強しながら進む様子を描いている。この時代、電力需要の増大、重化学工業の大型化にあわせて輸送技術も進歩し、巨大な重量物生産への道をひらいて高度経済成長を支えた。
オリンピックを運ぶ
1964年/カラー/40分/16ミリ/製作:輸送経済新聞社/企画:日本通運株式会社/演出:野田眞吉・松本俊夫
1964年に開催された東京オリンピックを、輸送という側面から描いた作品。ヨット、カヌー、ボートなど、競技に必要な大型資材の輸送、約2万におよぶ選手・役員の荷物輸送、競技用の馬や開会式に放たれる約1万羽の鳩などの輸送、マラソンコース等の標識や立て看板などの設置、マスコミ関係者のための映画フィルムやビデオテープの輸送など、オリンピックの裏方を支えたいろいろな輸送の仕事を描いている。

「物流の視点-はこぶ姿から時代を見る」 第3回

開催日:2000年9月22日(金)・24日(日) 15時~

「駿河丸」~華麗なる出航~
1957年頃/カラー/25分/日本郵船歴史資料館所蔵/企画:日本郵船株式会社
西回り世界一周航路で活躍した貨物船駿河丸への積込みから出航まで、華麗な姿を紹介したフィルム。貨物積込のため駿河丸の船倉へ降りていく荷役作業員たちや、貨物列車・はしけ・トラックから積み込まれる様々な輸出貨物などの姿が映し出されます。ヨーロッパに向かう乗客を乗せて華々しく横浜港を出航し、波を切って軽快に進む駿河丸の船上では、デッキビリヤードに興じる乗客、船内での優雅な食事の光景などが美しいカラー映像で再現されます。
「東京港」東京ニュース№53
1955年/白黒/10分/製作:東京都映画協会/企画:東京都
昭和20年代後半の東京港の様子を記録した作品。当時船への積込の大半は、はしけに頼っていました。港で働く人々の朝は活気に満ち、朝飯の丼をかき込んだ人々は、はしけで本船に向かい、本船からはしけに貨物を積み込む「沖荷役」に従事していました。一方で、沖荷役の無駄を省くため、建設中の豊洲石炭埠頭・晴海埠頭が紹介され、次第に変貌していく東京港のすがたを克明に捉えた作品となっています。
「はしけの生活」東京ニュース№95
1958年/白黒/11分/製作:東京都映画協会/企画:東京都/取材地:江東区・中央区・東京湾/取材年月:1958年9月
かつて、はしけの上で生活する人々がいました。今日は鉄くずを積み込みに芝浦沖へ、明日は石炭を積んで千住へ。昭和30年頃、その日の仕事によって移動するはしけが都内では2500艘あり、8000人の人々がはしけを生活の場所として毎日を暮らしていました。こうした人々のはしけの上での生活を綴った記録です。

「物流の視点-はこぶ姿から時代を見る」 第4回

開催日:2000年10月13日(金)・15日(日) 15時~

港湾荷役37年
1982年/カラー/14分/16ミリ/製作:東京都映画協会/企画:東京都/演出:安田憲二
東京港で働き始めて37年。とある港湾労働者を通じて港湾荷役の歴史と現在(1982年当時)をつづる。彼が東京港で働き始めたのは昭和20年。はしけ荷役の時代、接岸荷役の時代、コンテナ荷役の時代という3つの時代を生きてきた人物を通して、急激に変化した港湾荷役の歴史をふりかえる。
希望の船
1981年/カラー/35分/16ミリ/製作:英映画社/企画:貯蓄増強中央委員会/脚本・演出:堀内甲/出演:原知佐子 前田昌明
船上生活者の夫婦が、苦労の末、貨物船の船主となり、息子は船員になる決意をする。船上生活者の主婦の生活記録をもとに、厳しい現実の中で、高度経済成長時代を経て貨物船を購入し、陸に家を持った家族を描いた社会教育劇映画。昭和33年、信子は瀬戸内海を石炭輸送する木造機帆船の機関夫であった貞夫と結婚した。船は職場でもあり、また、住む家でもあり、船上生活者の毎日は、陸の人には想像もつかない過酷なものであった。昭和40年頃我が国は高度経済成長時代に入り、この夫婦も大型貨物船の建造に着手する。やっと夫婦の苦労が実って信子も陸に上がって子供の養育に専念できるようになったのも束の間、あらたな危機が訪れる。
×