物流博物館

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イベント

2005年の映画上映会

産業考古学会映像記録分科会及び東京産業考古学会共催の映画上映会を毎月第2日曜日に開催しています。
今まで上映された作品を紹介します。2005年は下記のテーマで上映会を行いました。
「映像で見る戦後日本の産業史」
企業や各種団体がPRなどのために制作してきた映像は、生産現場の案内人であり産業史の証人です。ほとんど上映される機会のなかった各時代の記録を、戦後60年の節目にあたる今年、約40作品を10回に分けて上映いたしました。
解説:吉原順平(映像・展示プランナー)

第1回  生きるために

開催日:2005年1月16日(日)

タイトル不明
1947年/33分/企画・制作:日本映画社
戦前~戦後にかけて日本を支えてきた燃料は石炭です。当時石炭のほとんどは国内で採掘されいました。 その労働者数は約40万人。労働条件は三交代制。宿舎には家族とともに住み、出勤時間になるとツルハシを担いで、時には1キロにも及ぶ地下へと降りていき粉塵にまみれながら掘削機を使う。この映像では北海道・美唄を舞台に、当時の最新技術を紹介しつつそれでもなお過酷な労働条件の中懸命に働く抗夫を描いています。
海に生きる~遠洋底曳漁船の記録
1949年/33分/企画:全日本海員組合/制作:日本映画社
板子一枚に命をかける、それが漁師です。一度漁に出ると次に陸(オカ)に帰るのは3週間後。その間、漁場を探し昼夜を問わず網を下ろしまた網をあげる。漁は台風でもこない限り続けられます。雨でも海がシケていても関係ありません。この映像では木の葉のように揺れる漁船を操りながら底引き網漁に命をかける男たちの姿を紹介しています。
ぬかものがたり
1949年/17分/後援:経済安定本部他/制作:日本映画社
精米後に残る『ぬか』は、実は様々な事に利用できる万能の素材であることを紹介しているのがこの「ぬかものがたり」です。舞台は農村。ぬかから油を絞り、絞りかすは家畜のえさにする。そして口紅もレコードもぬか油から作ることができます。そんな情報をドラマと三木鶏郎グループが演奏するノリのいい歌で楽しく紹介していきます。この時代にこのテーマでこのエンターテイメント!
新しい米つくり
1955年/30分/企画:東北電力/制作:東京シネマ
東北電力がおおくりするお米の物語。なぜ電力会社が?その疑問はご覧いただければすぐわかります。物語の舞台は雪深い山形県。この地方の米作りは常に冷害の恐怖にさらされています。冷害を防ぐには一日も早い田植えと一日も早い稲刈りが必要。そこで活躍するのが電気なのです。山形の農村の風景を計算されたすばらしいカメラワークでとらえた傑作です。

第2回  電源開発

開催日:2005年2月13日(日)

佐久間ダム建設記録第一部
1955年/40分/企画:間組/制作:英映画社
戦前から計画があった佐久間ダムの建設を阻んでいたのは梅雨時に降る大量の雨。冬から翌春、雨の少ない時期に水をせき止める工事ができなければダムは造ることができません。それを可能にしたのが海外から導入した大型建設重機です。ダム建設とは街を一つ作るほどの大規模な工事であることがわかります。実際、ダム建設用の道、橋、そして家が次々に造られていきます。この作品では、人間の力と大型重機のパワーが川の流れをせき止めるまでの工程を描いています。
68の車輪
1965年頃/32分/企画:日本通運/制作:東京シネマ
千葉県の国鉄柏駅から野田市の東京電力東変電所まで重量200トンのトランスを運ぶ300トン・シュナーベル式トレーラの運行記録です。このトレーラについているタイヤの数が68。行程は全部で5日間。道幅いっぱいのトレーラーはほとんど人が歩く速度で運ばれていきます。まだ舗装道路が完備されていない時代、橋は補強され、道には鉄板が敷かれます。重電施設の建設を支えた超重量品の輸送技術を描いた作品です。
原子力発電の夜明け
1966年/43分/企画:第一銀行/制作:東京シネマ
日本初の商業用原発である日本原子力発電(株)東海発電所の建設記録。この映像では原子力を宇宙からの贈り物と位置づけ、新時代のエネルギーとして紹介。4年にわたる建設記録とともに原子力発電の原理と核エネルギー制御の核心を解説しています。この原子炉は黒鉛減速炭酸ガス冷却型原子炉であり、結局日本では黒鉛炉はこれ以後造られませんでしたが、六角形の黒鉛ブロック約2000個が炉内に並ぶ映像は、当時としては近未来を予見させたのではないでしょうか。

第3回  新しい鉄の時代

開催日:2005年3月13日(日)

新しい製鉄所
1959年/42分/企画:川崎製鉄/制作:岩波映画制作所
軍需から民需へ。鉄鋼業は戦後先ず、薄い鋼板を効率よく生産する技術の発展によって、民生中心の産業に変身しました。舞台は東京湾に面して建設された千葉市の新鋭製鉄所。この製鉄所の主役は連続薄板圧延設備。ものすごいスピードで圧延された熱延薄板が巻き取られ、美しい輝きを発する冷延鋼板が生産されていきます。これらの薄板は、家電や自動車などの原材料となり、「産業の米」として豊かな暮らしをつくるのです。
偉大なる建設~東京タワー
1959年/30分/企画:竹中工務店/制作:マツオカプロ
昭和33年、333メートルの高さを誇る電波塔が完成しました。東京タワーです。自立鉄塔として平成の今も世界一を保持する鉄塔は、優れた鋼材と優れた建設技術の融合です。タワー建設のために特別に造られたクレーン。赤く熱したリベットを打つ作業者に渡す「リベット投げ」。命綱なしで鉄骨上を自在に動く鳶職人。当時の最新技術と職人技が手を取り合って世界一の鉄塔完成の大きな力となったことを実感させる作品です。
超高層霞ヶ関ビル
1968年/44分/企画:鹿島建設/制作:日本技術映画社
日本初の超高層ビル・霞ヶ関ビルの建設記録。地震国日本での超高層建築は、構造に関する新しい考え方と、様々な実験、コンピュータを駆使した解析で実現しました。H型鋼による軽量化デッキプレートや鉄骨に貼る耐火被覆の採用、自力でせり上がるタワークレーン、高層化による地上空間の確保。霞ヶ関ビルの技術と思想は、現代に至るすべての超高層ビル建設の基本といえるでしょう。現代の東京の景観はまさにこのビルからはじまったのです。

第4回  外貨獲得 ー輸出振興の中、新しいMade in Japanが生まれた

開催日:2005年5月10日(日)

日本の近代産業(ロシア語版)
1957年/38分/企画:海外貿易振興会/制作:桜映画社
「経済白書」が「もはや戦後ではない」と書いた翌年の1957(昭和32)年、輸出促進のために製作されたこの映画は、高度成長期直前の日本の輸出商品カタログです。伝統的な工芸品から近代的な繊維産業や窯業、なつかしい化学調味料、世界制覇への道を歩む造船、蒸気機関車からディーゼル機関車への過渡期の鉄道車両ーーーロシア語版ですが、当時の産業・技術の状況を日本語活弁で回顧しながらご覧いただきます。
巨船ネスサブリン
1961年/42分/企画 :三菱造船/制作:岩波映画製作所
戦後のメード・イン・ジャパンは、戦前から高い水準にあった技術分野を基礎に成長してきましたが、造船はその代表です。この映画は世界一の造船王国に向う時代の代表的な輸出船の建造記録。9万トン級のタンカー「ネスサブリン」は、船台で建造され、盛大な進水式を経て海に浮かび、イギリスの海運会社に引き渡されます。 ドックでのブロック建造、先行艤装が進んだ今日の造船所ーーここには、それ以前の巨船づくりの感動があります。 
MU-2
1966年/18分/企画:三菱重工業/制作:シュウ・タグチ・プロ
わが国最初の小型ビジネス機「MU-2」は、アメリカ市場への輸出を主目的に開発されました。1960(昭和35)年から開発に着手、1966(昭和41)年に販売開始、1987(昭和62)年の最終号機引き渡しまでに760機以上が製作され、北米をはじめ世界の空を飛ぶベストセラー機になりました。操縦するパイロットの語りで卓越した基本性能、操縦性、居住性が紹介されますが、富士山上空では片方のエンジンを止めて飛行します。
科学の目ニコン
1967年頃/30分/企画:日本光学工業/製作:東京シネマ
測距器などの兵器で高い水準にあった光学機械工業も、その蓄積を民生品に転用して世界的な評価を得ました。日本光学のレンジファインダー方式「ニコン」は、朝鮮戦争を取材した「ライフ」誌のカメラマンに使われて高性能が世界に知られました。この映画は一眼レフ「ニコンF」段階の同社製品の総合紹介です。高級カメラから大衆製品への展開、そして光学技術のエレクトロニクス産業への応用など、今日のメイド・イン・ジャパンの強さに繋がる動向が見てとれます。

第5回  都市と道路 ー超高層・地下開発・長大橋等都市が変わり国土が変わる

開催日:2005年7月3日(日)

地下を進む都市開発
1967年/25分/企画:鹿島建設・石川島播磨・三菱重工・小松・川崎重工/制作:日本技術映画社
都市の地下空間を作り出すシールド工法。手掘用シールドや機械化シールドの構造と機能を実際の現場とアニメを使って紹介。地下鉄トンネルを始め、電気、電話、ガス、上下水道を一括敷設する共同溝建設などに、この映画の企画5社が開発した様々なシールド工法が登場する。
私は高速道路
1963年/21分/企画:日本道路公団・高速道路調査会/制作:岩波映画製作所
1963年7月15日、名神高速道路の栗東ー尼崎間が部分開通して、日本は高速道路時代にはいった。上下線が完全に分離され、平面交差も信号もない高速道路は、日本のドライバーが初めて体験する新世界である。モダンジャズのリズムに乗って展開するこの楽しい映画は、高速道路走行の安全マナーを周知するため、開通直前の制約下で撮影された。
東名高速道路
1969/45分/企画:日本道路公団/制作:日本映画新社
名神高速道路建設でノウハウを生かしながら、1969年全線開通した東名高速道路の工事記録。関東ローム層の軟弱地盤対策、水ガラス注入トンネル、高さ65メートルの橋梁建設など、道路建設は土木技術の展覧会でもある。
橋は生きている
1988年/35分/企画:本州四国連絡橋公団第二建設局/制作:海洋架橋調査会・山陽映画社
本州四国連絡橋のうち、児島坂出ルートにある橋の建設記録。高さ55メートルのケーソンの設置、主塔やアンカレッジの建設、橋を支えるケーソンや空中でのトラス橋桁の設置、また、たわみやねじれに対する風洞実験などが紹介される。大橋建設の背景にある瀬戸内海の風景が美しい。

第6回  鉄道とモータリゼーション ー超全国民を巻き込む移動の新時代が始まった

開催日:2005年8月7日(日)

ディーゼル特急
1960年/22分/企画:日本国有鉄道/制作:岩波映画製作所
内燃機関を動力とする気動車は、蒸気機関車の煤煙に悩むローカル線対策として戦前から開発されてきたが、総括制御ができないという弱点があり、連結運転では各車両毎に運転士が乗り、ブザーで連絡を取り合い操作をしていた。この問題を解決したのが液体式の自動変速機「トルクコンバーター」である。液体式気動車の登場によって、連結運転する列車の総括制御が可能になり、輸送力増強と快適な向上をもたらす。新しい気動車は準急型、急行型と進化して特急型となった。この作品では、液体式気動車のしくみを解説し、わが国最初のディーゼル特急「はつかり」の運転風景を快適な汽車の旅として案内する。
東海道新幹線
1964年/45分/企画:日本国有鉄道/制作:新理研映画
標準軌(広軌)で時速200キロメートル以上の長距離高速運転を行う新幹線鉄道は戦前からの夢であり、1964(昭和39)年10月1日に開通の東海道新幹線によって実現した。この作品はその総合的な開発と建設の記録である。東海道新幹線では安全性、高速性、大量輸送を実現するため、車両は勿論、路盤、軌道、電力、信号とあらゆる面で最新の方式がとり入れられた。特に列車自動制御装置(ATC)とそれを中央で統括する列車集中制御装置(CTC)によるコンピューター制御の運転管理システムは、以後の無事故記録の立役者となっている。綾瀬―小田原の試験区間で当時の鉄道最高速度2256キロを出し、日本の鉄道技術の優秀性を世界にアピールした場面も登場する。
開発指令634~ベーシックカーホンダシビック開発記録
1972年/23分/企画:本田技研工業/制作:東映CM
4輪車市場に遅れて参入したホンダの最初のヒットは、1967年の軽乗用車N2260だった。この作品は、ホンダが普通乗用車分野に本格的に進出した「シビック」の開発記録である。日本の国民車は軽乗用車から出発したが重心は次第に小型車に移り60年代も後半に入ると排出ガス、燃費、安全性、渋滞への対応など、自動車への社会的要請も厳しさを増してくる。このような時期に世界市場を睨んだ戦略車として開発され、世界企業ホンダへの突破口となったのが「シビック」である。排出ガス規制のマスキー法をクリアするために開発されたCVCCエンジン、外形は小さく室内は広くという課題を解決した「台形」スタイル。全社をあげた「シビック」の開発は、ホンダ世界進出の大きな力となった。作品は開発過程の記録というよりも、開発の背景とコンセプトを伝えるイメージ的な色彩が強い。

第7回  テレビと電話 ー時間・空間を超えるネットワークが形成される

開催日:2005年9月11日(日)

マイクロウェーブ
1961年/25分/企画:日本電信電話公社/制作:岩波映画製作所
電電公社が先ず取り組んだ課題は、「すぐつく電話」(積滞解消)と「すぐつながる電話」(全国ダイヤル即時化)だった。電話網の整備には幹線伝送路の充実が欠かせず、そこにテレビという新しいメディアが登場した。高度に多重化された電話網の幹線として、またテレビ局を結ぶ中継網として、極超短波マイクロウェーブの伝送路が全国に結びつく。
新しい電話ー電子交換機
1974年/23分/企画:富士通株式会社/制作:岩波映画製作所
全国ダイヤル即時化を支えたのは、戦前からの上昇式自動交換機に代わるクロスバ交換機であった。継電器の布線論理回路で構成されたクロスバ交換機の制御部をコンピュータに置き換え、インテリジェンスをアップしたのが電子交換で、高度な電話サービスを提供した。次の段階のデジタル交換機で、通話路部もLSIの電子回路となる。
くらしに生きる
1975年/26分/企画:日本電信電話公社/制作:毎日新聞社
積滞が解消して各戸に電話が行き渡り、全国ダイヤル即時化が実現して「赤電話」からもダイヤルで遠くの相手にかけられるようになった。普及率世界一の公衆電話が移動通信の機能を担うようになった。ファクスやデータ通信のような新サービスも登場してくる。民営化の10年前、電電公社はその公共的イメージをこのように描いた。
科学の祭典
1965年/56分/企画:国際技術協力協会/制作:東京シネマ
皇太子ご成婚で白黒テレビは爆発的に普及、東京オリンピックではカラーの時代が一気に展開した。それはまた静止通信衛星により世界にテレビ生中継された最初のオリンピックであった。独自のアンツーカー、時計判定装置、建築デザインと建設技術など、東京オリンピックを支えた日本の科学技術の総合記録映画にテレビ史の一齣を確認する。

第8回  新しい素材 ー不可能を可能にする現代の魔法がここにある

開催日:2005年10月9日(日)

太陽の糸
1963年/28分/企画:東洋レーヨン/制作:東京シネマ
戦後、私たちの暮らしを変えた最初の新素材は有機の合成樹脂であった。その一つ合成繊維は、技術導入されたナイロン、テトロンなどに始まり、自主開発技術も加わって有力な輸出産業となった。後に劇映画に進む黒木和雄演出の本作は、60年代合成繊維革命初期の生産と開発を伝え、製造工程もある程度見せる。題名は、東レが61年に製造開始したナイロン原料カプロラクタルの独自の製法(PNC法)が光反応を用いることを示唆。
世界の漁網
1964年/26分/企画:東洋レーヨン/制作:東京シネマ
合成繊維は衣料だけではなく、産業用資材でも天然繊維に代わっていく。漁網もその例で、腐らず破れにくく着色可能な合成繊維漁網が世界を席巻した。海外販促用の英語版を基礎としたこの作品は、世界各地での合成繊維漁網の使用、刺網、・定置網・巻網などの漁法を美しい画面で紹介。霞ヶ浦の帆引き漁も登場し、40年前の漁の豊穣をも感じさせる。
高圧法ポリエチレンフィルム
1964年/20分/企画:ポリオレフィン懇話会/制作:電通映画社
合成樹脂の代表選手ポリエチレン。フィルム用は高圧法で、容器など成形品用は中・低圧法で造られる。包装に欠かせないポリエチレンフィルムの製造は、機械任せと思われそうだが、空気を吹込んで袋を作る工程には、職人技とも思える微妙な調整が必要となる。
明日をひらく新素材
1986年/30分/企画:科学技術庁/制作:鹿島映画
割れない陶器、元の形に戻る金属。80年代に開花したナノ技術を駆使した新素材開発によって、常識を覆す材料の大変化が起きた。当時の新素材開発の前線を記録するこの作品は、原子レベルの解説を加えながら、セラミックスと金属の耐熱性比較、形状記憶合金とその応用のアイデア、更に人造ダイヤモンドの製造など極限環境で新しい物質を作る試みを紹介する。
(特別上映)私はナイロン
1962年/30分/企画:東洋レーヨン/制作:日本産業映画センター
合成繊維革命の初期、素材メーカーは最終商品の開発・生産・販売までリードした。東レと帝人はファッションのリーダーであり、広告のリーダーであった。松本俊夫演出の前衛的な本作は、その時代、「感覚産業」(加藤秀俊)であった合成繊維産業の一面であった。

第9回  環境の時代 ー汚染防止から「省エネ」の追求へ 地球の可能性を活かすために

開催日:2005年11月13日(日)

水の開拓者
1966年/28分/企画:栗田工業/制作:東京シネマ
雨、雪、滝、河、海。自然の循環のなかの美しい水の姿とその恩恵を生活の糧とする人々。1960年代、水の汚染が深刻化すると水処理の科学と技術が注目される。穏やかな水の風景を導入に、映画は水処理プラントメーカーの研究開発の前線を次々に紹介。微生物利用や加圧浮上法による汚水の浄化、ボイラー冷却用水の再生、海水淡水化プラント、硫黄の川の自動中性化施設など、クリタは多彩な水処理を持っている。東南アジア水辺の風景、行き交う小舟で売り買いされる瑞々しいフルーツや花々の鮮やかな色彩が眩しい。
黒い霧ースモッグに挑む
1965年/27分/企画:住友機械工業/制作:学習研究社
高度成長の中で広がった大気汚染。先ず注目されたのは見える煤煙であり、次いで見えない化学物質であった。都市にはスモッグが発生し、特に工業地帯の人々は喘息に苦しんだ。解説によると当時、煤塵量は1平方キロあたり、大阪19トン、東京26トン、釜石31トンにも及んだという。映画はスモッグの恐怖を訴え、住友機械の機械式と電気式、水やガラス繊維を利用した集塵装置を説明する。
新しい産業の誕生ープラスチックの再生加工品の世界
1981年/39分/企画:プラスチック処理促進協会/制作:グループ現代
公害が大きな社会問題となった70年代を通じて、新しい制度や産業が生まれる。分解しにくいプラスチックごみのリサイクルは今日なお未解決だが、映画が紹介するのは主に中小企業による再利用産業化の初期の挑戦。魚礁、遊具、マット、表示板、汚水升、標識杭、測量杭、パイプ、蛸壺、パレット、磁石、板、柱、植木鉢等々、用途は多彩である。
自然をはかるー環境アセスメント
1980年/28分/企画:九州電力/制作:RKB映画社
環境対策の諸制度のなかで重要なものに、影響の事前評価、環境アセスメントがある。映画は、九州電力が天草に火力発電所を新設するために行った環境アセスメント2年間の記録。季節による大気の流れの変化、ガス拡散の模型実験、植生の実態、温排水の拡散分布状況の把握など、建設の前に取り組まれた環境調査が具体的にしめされている。

第10回  ナノとデジタル ー微細・高速の技術が情報社会の要請に応える

開催日:2005年12月11日(日)

LSI マイクロエレクトロニクスの世界
1977年/25分/企画:富士通株式会社/制作:岩波映画製作所
ディジタル技術の開発が、ナノの世界への道を開拓した。1976年当時の通産省の呼びかけでコンピューターメーカー5社が参加する「超LSI技術研究組合」が発足し、1メガビット半導体メモリーの開発を目指す共同作業がスタートする。日本の大規模集積回路製造の夜明けだった。この作品は翌年に商品化された64キロビットメモリーを取り上げ、登場したばかりのLSIの概念を解説しフォトリソグラフィーとエッチングによる微細加工技術を紹介する。草創期、おそらく日本最初のLSi紹介映像であろう。
ナノワールドに挑む 電子顕微鏡が探る極微の世界
1989年/26分/企画:日立製作所/制作:イメージサイエンス
集積度が18ケ月で2倍になると予測されたLSIは、キロビットからメガビットへ、ギガビットへと急速に高密度化=微細化し、ミクロンからナノへ、光学顕微鏡の世界から電子顕微鏡の世界へと入っていく。この微細な世界を見ることができるのは、電子顕微鏡のおかげだ。この作品は、透過型と走査型という2種類の電子顕微鏡の原理と特長を示し、それらで観察される美しく多彩な微小世界を通じて先進分野における大きな貢献を紹介、物質を原子スケールで観察解明するナノテクノロジーへの道を展望した。
1+1+1…=1 ナノ粒子・ナノワイヤーに潜む謎
2000年/26分/企画:科学技術振興事業団/制作:イメージサイエンス
原子1個1個をはっきりと見せてくれるのは、1980年代の前半にH・ローラーによって開発された操作型トンネル電子顕微鏡である。操作型トンネル電子顕微鏡は、プローブ(探針)で物質の表面をなぞり、トンネル電流を利用してその状態を拡大観察する。この作品は、金の1原子鎖など多くの驚くべき観測画面を紹介するとともに、原子操作によって望む物質を創製する技術が現実となる21世紀を示唆した。
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